第6回 広島国体
08/05(Mon) 15:14|よもやま話comment(0)trackback(0)edit
テレビでバルセロナでの世界水泳の様子を見ていると、思い出します。バルセロナオリンピック。
我々射撃をする者にとっては忘れることのできない、クレー射撃 日本初のメダル。
トラップ代表 渡辺和三選手が競射の末、銀メダルを獲得しました。それもミロクの銃で。オリンピックの数ヶ月前に出場権が与えられ、十分な準備ではなかったものの、表彰式に日の丸国旗が上がったことに皆、目頭が熱くなりました。
この件の資料も手元に来ましたので後々、取り上げます。

8月に入ると京都はお精霊さんをお迎えするためお盆の準備が始まります。ご先祖さんに向き合う時節ですので、今日は亡き2代目を偲びながら昭和26年第6回広島国体、第7回東北3県国体の写真を載せてみます。
特筆すぺきはこの広島国体から射撃競技が国体の正式競技になったということ。
しかも当時は現在のようにクレー射撃・ライフル射撃と区別されず、両方で「射撃」という扱いでした。
もちろん、時代が時代ですから現在のトラップのように国体へ全県出場できるはずもなく、各地区での予選で国体への出場が決定しました。
そして京都府はクレー・ライフル共にレベルが高く射撃王国とまで言われました。当時ライフル射撃は同志社大学が強豪校として国体へも多数の選手を送り込みました。
今も昔も国体は団体での入賞が使命です。
余談ですが、国体の開催地への乗り入れには地元から「国体専用列車」というものが用意され、選手始め関係者はこれに乗って向かいます。途中停車する駅ではそこの婦人会の方が名産品やおしぼりなどを差し入れしてくれたそうです。また、開催県によっては選手が国体参加章をつけていると映画館・喫茶店・理髪店も無料で利用できたり
専用バスで観光もできたりしたそうです。この頃は国体選手というと少し優越感があったかもしれません。

広島国体は昭和26年。会場は呉市三河狭射撃場。広島の原爆投下からまだ10年も経たないこの年、被爆地ではまだその傷跡が残っていたことでしょう。原爆は日本のどこに落ちてもおかしくなかったわけですから、広島・長崎の犠牲は決して忘れてはいけないと、犠牲者への哀悼と被爆地の復興を願ってこの広島国体に参加した人たちも同じ思いではなかったでしょうか。

広島1
射撃風景。神社の境内のようにみえますが? アメリカントラップですね。この時はトラップのみ。スキートはこの後、国体種目となります 広島国体

広島3
高松宮殿下が会場へお越しになりました 広島国体 

広島5
左から2人目 射撃中の二代目主人 不思議な事に現4代目主人にフォームがそっくり 写真が重なり見づらいですが、写真右端、きれかかっている部分、これがクレーを放出するレバーです。二人の男性が見えます 飯坂町県営射撃場 東北3県国体(福島・宮城・山形) 

東北1
国体とは言え、当時としては立派な管理棟です

東北5
国体会場で待機する銃 さすがに単身自動銃が多いです 銃砲店の主人は銃も気になり写真を撮ったのでしょう
この裏にはスコアーボードが設置されているようで何人かの人が見ています

東北2
降り立った駅での2代目主人 "歓迎 神奈川県選手宿舎"というのぼりが後方に見えます

掲載してはいませんが、ある射撃場の写真には「よーけあてたまえよ 宿舎なでしこ」という激励の垂れ幕が見えます 郷土色と共に地元人々の歓迎の気持ちが伝わってきます 広島か? 東北か? 四国高松か?
京都弁で言うと"ぎょうさんあてておくれやす" 大阪弁で言うと"たんとあてておくんなはれ"・・かな?
名古屋弁なら?

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