理想の射撃場
07/19(Fri) 18:50|よもやま話comment(0)trackback(0)edit
2回にわたって掲載した射撃場のブログをご覧になった方から「歴史的価値のある写真で、興味深く見ました」と感想を寄せて頂きました。ありがとうございます。うーん。写真にも感謝。よくぞ残っていてくれたと。
私どもが例外ではなく、皆さんの行きつけの銃砲店さん、射撃場さん、所属する団体さんにもこのような懐かしい資料が残っているかもしれません。
次のブログは8月のつもりでしたが“ブタもおだてりゃ木に登る”ということで、調子づいて射撃場シリーズをここで締めたいと思います。

西陣
町内会の集合写真かいな? いえ、そうではありません 写真右側に昭和11年7月 於金閣寺 
西陣猟友会実弾射撃大会と文字が入っています 戦前です 後列右から2人目が2代目主人、その前に男の子を抱いて座っている人が初代主人で男の子が2.5代目です 現存する写真ではこれが一番古いと思われます 
西陣猟友会と言いますと私どもが今も事務局で、この写真の時から数えても77年ですか
そんなに古かったとは知りませんでした 
昭和40年代には700名の会員が在籍し、その頃、狩猟登録の受付だけで3日間かかったとのこと それが今では150名余りとなりました
西陣地域にある猟友会ということでこの名が付き、会員すべてがこの地域の人たちというわけではありません
事務局が銃砲火薬店なので何かと便利ということで皆さん在籍されています

3代目に改めて射撃場のことを尋ねると、この写真にある戦前の金閣寺射撃場はライフル射撃場だったと。
この時代にライフル銃があったのか? 軍隊があったからライフル銃もあったのだと。
そしてGHQの希望もあり、2代目主人がGHQのアシスタントをしていた関係で昭和25年に有志が集まり先の金閣寺射撃場を閉め、近くに新しくクレー射撃場を開場し、昭和31年にリニューアルをして昭和36年か37年に立ち退きとなった後、宇治木幡の射撃場が開場した。
ある意味、射撃の本場アメリカ、GHQの影響でクレー射撃の文明開化みたいなものが京都では起こったのでしょうね
小林兄弟が言うには東京オリンピックの会場であった所沢射撃場はその時代では一番の射撃場だったそうです。
昭和11年のモノクロ写真の射撃場から51年後の昭和62年に京都府射撃場が誕生しました
この射撃場は昭和63年京都国体のクレー射撃会場としてトラップ・スキート各2面を擁し、射撃場の候補地選定から設計まで小林兄弟が関わり長年の競技人生の中で国内外の射撃場を回り「日本屈指の射撃場」、彼らの理想の射撃場を具現化したものです。丁度、バブル時代に差し掛かり、建設費もかかっていますが、施設もそれに見合った立派な物が出来ました。この射撃場を見学に訪れ、クレー射撃を始めた人がどんなに多かったことか。
現在は休場中ですが、京都のみならずこの射撃場を一日も早く開けてほしいという声が絶えません。

DSC05028.jpg
残念ながらきちんと撮った写真がありません
京都府射撃場のトラップ射面 パノラマ写真でギリギリです バックストップまで80m以上あるので飛行したクレーはストンと芝生の中へ落ちます 失中しても気持ちよくクレーがサーッと飛んで行くので腹も立たない

DSC05037.jpg
スキート2射面 望遠で撮っています 
この射撃場のオープニングイベントには芸能人文化人ガンクラブの会員を招き、三橋達也さん、高木ブーさん、松方弘樹さん、本郷功次郎さん達も参加した射撃大会を開催しました。
新射撃場には地元の人々や参加者とその家族が集い、ホテルでのパーティーでは射撃を愛する者同士の交流をはかりました。新射撃場完成の喜びと京都国体への期待に満ちたものでした。

年々猟銃所持者が減少する中、今さら射撃場を開けたところで、という意見もあろうかと思います。
しかし、この射撃場を含め、この時代は国体開催地では仮設であれ新設であれ国体射撃場を建設しました
ところが、いつからか既存の射撃場を改修するなどして経費節減の下、国体は行われています。
つまり地区ブロックには毎年あるブロック国体(近畿では近畿国体)が行える射撃場が必要で、国体開催県に射撃場が無いならば、その地区にある国体に対応できる射撃場として大きな射撃場の存在意義はあると考えますし、国体会場となれば公営施設というのは自然な流れで。更に世界に通用する選手育成のためのトレーニングセンターの役割も担うでしょう。
京都府射撃場で強化練習をした京都府代表はトラップでは山形国体、スキートでは熊本国体で個人優勝を果たした実績がそれを裏付けます。
全日本選手権、本部公式そして海外選手との親善大会などトップシューター達の射撃を見ることができたのもこの射撃場のお蔭です。
ゴルフで言えばプロトーナメントのできるゴルフ場とアマチュアが手軽に利用できるゴルフ場があるように
射撃場もね。

京都国体
京都国体最終ラウンドを終えて地元競技役員から労いをうける3代目
初めて国体で親父の射撃を見た4代目
親父は毎年のように国体へ行っていたので、国体ってそんなにスゴイものだとは思わなかった
京都府はスキート団体で3ラウンド目まで10位 入賞へ食い込むためしんがりを務めた3代目は4ラウンド目24点で上がり、94点で個人5位、団体7位の結果でした
自分の理想とした射撃場を舞台に国体入賞を果たし、表彰式ではちょっぴり涙ぐんでいた3代目でした
国体では何度も入賞していて今更って感じですが、やはりこの時は地元開催ということと選手と役員の兼務であった為、国体開催のために数年間、走り回っていましたから、万感の思いだったことでしょう。
私、宇治金時は京都国体では総務委員を任命され、集計本部でラウンドごとに集計された成績を各府県の休憩所へ配布をしたり、休憩所では顔なじみの選手達と雑談をしたり、場内を動き回っていました。とにかく朝、4時ごろに起きて家へ帰ってくるのが夜8時というのが大会期間中毎日でしたので、それがきつかった。そうそう、銃器保管係(選手の銃はすべて会場で預かります)の人は保管室に畳を入れてそこで寝泊りをしていたからもっと大変でした。店長もそして3代目も交代で泊まっていました。射撃場にはお風呂が無いので射撃場のパートさんの家が近くにあり、そこのお風呂を借りたりもしました。
でも、国体っていいものですよ。

2020年 東京オリンピックが決まれば久方ぶりに新しく射撃場が建設されるのでしょうか。
ここまで3回に亘って射撃場についてのお話におつきあい頂きましてありがとうございました。
モノクロ写真は見づらいですね。次回はカラーを用意します。
まだまだ射撃の話は続きますよ。




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