57年前の射撃場
07/13(Sat) 14:20|よもやま話comment(0)trackback(0)edit
今日から3連休というのにいきなり雷雨に見舞われました。
前回のかつての射撃場の話題はみなさん興味深く見て頂いた様で、今日は引き続きこのお話をしたいと思います。
まあ、かつての射撃場と言っても私を含めほとんどの方は知らないわけで、関心のない人もいると思います。
皆さんお一人お一人に思い出があるように、私たち小林家にとっては貴重な資料でして50年が経てば
ただ、家で保管しているよりも多くの人々に見て頂くことにも価値があるかな・・と思っています。
私個人としては知らない写真を見て"想像をかき立てる"のです。
昭和30年代のことは3代目と2.5代目しか知らないと思っていましたが、おっと、もう一人忘れておりました。
小林銃砲火薬店店長の渡辺のー君です。
金閣寺射撃場の写真を見て、"私、ここでクレーを出すレバーを操作していたんや"と。

今ではクレー放出はコンピューターで人の手を煩わせませんが、店長の説明ではその当時、手動でクレーを放出していた為、地下のクレー放出機と射台の後ろにある大きなレバーをつなぎ、射手がコールをすると
そのレバーをガチャンと押し込みクレーが放出されるという仕組みです。
先にレバーを起こして、コールを聞いてから押し込む。そう1回ごとにこのガチャンを繰り返すのです。
そして、クレー放出機の所にもクレーの方向を変えるため人が一人いたそうです。つまり機械は1台しかなく角度も
手で変えなければいけなかったのです。
いわばアメリカントラップの原型ですね。
手動式で射撃をしている写真が残っているはずと、のー君は言いますが、残念ながら今のところ写真はありません。当時10代だったのー君少年はわざとレバーのタイミングをはずしてみたり、クレー放出機のところでは
コールを聞きながら人によってクレー角度をきってみたり、まっすぐにしてみたり悪さをしたこともあったとか。
その後、射撃場が新しくなるにつれクレー放出機も近代化された物が導入され、現在に至っています。

DSC04895.jpg
これが店長の話す金閣寺射撃場の射台 昭和31年、つまり今から57年前にはありました
後ろに並ぶ車に目が行きます

国体2
年代は不明 おそらくクレー射撃の国体風景ではないかとのこと
パラソルに万国旗とイベントという感じはありますが、活動写真のようにこま切れで人が動きそうな雰囲気ですね

かめおか
亀岡にあった射撃場で射撃中の地元亀岡猟友会のみなさんの様子
この射撃場を知る人は今はおらず、この当時、おじいさんについていってわずかに記憶にある方のお話によると
昭和36年頃に地元有志によりアメリカントラップ射撃場として開設され、月に1・2回程度開場し府下の猟友会員の練習射撃や射撃大会が行われていた。しかし、約10年ほどで閉場となった
射撃場跡地には京都縦貫自動車道が通っています

弾
店長が言うには まだ昭和31年頃は国産装弾はなかった・・と 輸入装弾を使用し、すでにフェデラルもその頃
あったと言います その後間もなく国産装弾が販売されるようになり、写真の装弾箱の文字はぼやけていますが
MERCURY  K F C ハイペロシティー EXTRAなど見て取れます
25発の小箱は当時も紙製のものでしたが、大箱はちょっとちがったみたいです
今は段ボール箱を使っていますが、昔は木箱に入っていて、それから変更し、一斗缶に入れ段ボールで外装をしていたという時期もあったようです

2.5代目の要望で写真を入れ替えた為、先の《かつての射撃場》の記事を手直ししましたので併せてご覧ください。
2.5代目が保管しているたくさんの写真を借りることになりました。しばらくブログのネタ切れはなさそう。
その中でも私がどうしても欲しい写真が2枚あります。
その内の1枚は「あっと驚く為五郎」 あまり早く載せてしまうのももったいないしなあ・・・










スポンサーサイト
name:
url:
pass:

管理者にだけ表示

TRACKBACK