かつての射撃場
06/29(Sat) 17:12|よもやま話comment(0)trackback(0)edit
雨の降らない空梅雨かと思えば一転して大雨となり、祇園祭の頃には梅雨が明ける京都です。
丁度先週の土曜日は天皇皇后両陛下が入洛され、公安委員会から自粛要請を受けておりましたので
店は開店休業状態。
店より東1kmの所に京都御所があり両陛下はここを拠点に移動されるため、一日中上空にはヘリコプターが
飛び、店の前の信号には警官が立ち、私たちの仕事もほどほどに。

また今日は狩猟免状の更新講習と京都府猟友会が開催する狩猟免許試験受験者対象の講習会と重なり
講習会を終えた方々が来店され慌ただしくしております。
ご周知のとおり6月から装弾価格が値上がりすると言うことで、今月は問い合わせや購入されるお客様も多く、
私どもでは値上りとなると仕入量を増やしお客様にご負担がかからないように少しでも値上げ時期を遅らせる
ようにします。
もちろん、仕入量が増えるとメーカーさんへのお支払はドーンと増え、社長は送られてくる請求書を見て
大きな目が更に飛び出す勢いです。しかし、日頃、お買い上げ頂くお客様のお蔭でその利益を仕入れに充てることができ、お客様へ少しでも恩返しをと。
今回の値上げも事前に通知があり、知り合いの同業者さんへ尋ねると「買いだめか? 4万発くらいにしとくわ。
昔ならもっと数入れたけど、どっちにしても出る数が大幅に減ってるからなあ。そんなたくさん必要ない」と。
そうなんです。昔なら半年分前払いしておくから確保して欲しいとか、買い置きするお客様もありましたが、
今回は先ほどの同業者さんのお話のように消費量が落ち込んでいるため、さほど混乱はありませんでした。
更に来年から消費税も段階的に上がるようですし、まだまだ頭痛の種は尽きません。

ブログに載せる写真を選定するにも時間がかかり、たまたま先日、高槻国際射撃場の管理者の方と3代目が
昔の射撃場のことを懐かしく話をしていたので今日はこの事を取り上げます。
現在、京都には民間射撃場が数か所あります。
しかし、私どもに残っている資料を見ると今は無い射撃場の存在が。
その当時の事は3代目と2.5代目しか知りません。
えっ? 2.5代目ってどういうこと?
当店の3代目主人の父は2代目です。しかし、2代目の跡を継いだのは長男の方で、ほどなくして長男は
次男の3代目に店を任せました。前にもお話をした通り長男は銃砲店の主人よりもプロシューターになりたいと
全国の大会へ出かけ、店をあけることも多くなりました。
国体はもとより全日本選手権などアマチュア経験を経て、プロ時代は小林・佐波氏・塩沢氏・新里氏がトラップの四天王、そしてスキートの北氏とトッププロとして、ニッサンミロクの所属で活動をしていました。
また、任天堂(NINTENDO)が開発したレーザークレーの監修をし、ブームの時はレーザークレーの大会で優勝をすると海外旅行が贈られたそうです。
そして、このレーザークレーをきっかけに本格的にクレー射撃を始めた人も多く、私どものお客様の中にはレーザークレー出身の方が何人かいらっしゃいます。
ブログを書きながら思いました。猟銃所持のハードルが高くなった今、またレーザークレーのように
手軽にクレー射撃が体感できることも必要なのかな・・と思います。

仲の良い小林兄弟は銃を通じて60年の間、数えきれないほどたくさんの人々と出会い、教えを乞い、お世話になり、懐かしい思い出話は尽きません。中でも二人揃って名を挙げるのは旺文社の創業者 赤尾好夫氏。東京在住で射撃の腕前は超一流。当店2代目と親交があったことからその息子達をかわいがって頂き、2.5代目が全日本選手権で準優勝した際、ご自分の猟犬の子を譲って下さったそうです。
ただの猟犬ではありません。米国チャンピオン犬、ポインターのスタナーノココロ(3代目の記憶では)の子犬です。また、赤尾氏がご自分のサインを入れた辞書を3代目に進呈して下さり、ボロボロになった今でも大切に持っていて、書店で旺文社の受験参考書などを目にすると赤尾氏のことを思いだすそうです。

京都だけでもかつて射撃場は宝ヶ池、亀岡、金閣寺、宇治木幡、山科にありました。
その他にも寝屋川や天理、滋賀県には仰木や信楽、坂本の琵琶湖畔には米軍射撃場がありました。
信楽は昭和56年滋賀国体の会場で存続期間は長くなく、ここで射撃をした経験はありませんが、天理は大きな
射撃場で、近畿地区での大きな大会は専ら天理射撃場で行われ私も数回行きましたが、当時超初心者だった
頃で気後れしましたね。その頃は山科射撃場ばかりで撃っていて、スケールが全然違いました。
琵琶湖射撃場もスキートから琵琶湖が一望でき、「羽があったら飛んでいきたい」というくらい眺めは最高でしたし、戦前には大津市大谷にも射撃場があったらしいです。
山科を除くかつて造られた京都の射撃場は当時の愛好家達が資金提供をしたそうです。
昔は家の庭に作るような感覚で立派とは言えないものの容易に射撃場が出来たという良い時代でもありました。

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これは宇治木幡の射撃場 宇治金時もこの射撃場へ行った記憶がわずかにあります
京都で初めて国際トラップ射面ができたのがこの射撃場だそうです
昭和40年代前半にはまだありました。

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左写真 左はローマオリンピックの金メダリスト ロッシーニ氏 右はマタレリー氏
後にマタレリー氏は東京オリンピックで金メダルを獲得
右写真 憧れのロッシーニ氏と2.5代目のツーショット 昭和30年代中頃

まさお
通訳を介してメダリストの話に聞き入っています 


DSC04886.jpg
ゲストを名残惜しそうに見送る当時の京都府クレー射撃協会 杉原会長

赤尾サイン
左)昭和29年 東京 村山射撃場にて 2.5代目が全日本選手権準優勝で赤尾協会長より文部大臣銀杯を授かる
当時、全日本選手権に出場する人は「一国一城のあるじ」と言う人ばかりで大学生(19才)が出場すること自体無謀? 列車に乗って到着したら試合、そして終わるやいなや、また長時間列車に揺られ帰京
右)その時の記念として赤尾会長直筆のサインが入った自伝書を賜り、学生の身分には余りにも光栄でとても
感激したと本人は語っています


DSC04883.jpg
庭の隅で咲いているアジサイ あまり見かけない八重の花びらでしょ? 交配した新種だと思います
ずーっと前からアジサイはありましたが、一向に咲かず、「うわー ようやく咲いたの?」と
母に言うと「それはちがうよ。2年前に鉢植えのをじか植えにしたのが咲いたんよ」
アジサイは長く楽しめますからいいです 雨にアジサイ、でんでんむし 
そう、めっきりかたつむりを見かけなくなりました
宇治金時も花は好きですが、そもそも3代目は農学部出身ですのでどちらかと言うとこの方のほうが
花には詳しいです 学生時代は日本一と言われる京都府立植物園で実地研修もあったそうです。
その3代目は今月がバースデー 甥や孫、遠方にいる息子からも祝ってもらったものの毎日仕事に追われ
ちょっぴりお疲れのご様子です





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