さくら咲く
03/27(Wed) 18:36|よもやま話comment(0)trackback(0)edit
用事があって上京警察署まで出かけました。
ここは北野天満宮の真向かいにあり、元日から初詣で賑わうこの辺りの交通整理を始め日頃、
何かと忙しい警察署です。
銃砲火薬店の業務でよくお世話になっていて個人的には年に2回ほど伺います。
市内は下京署や東山署、中京署と新築された警察署もありますが、ここは耐震工事を施し
外観は昔と変わらず、何よりも3・4階からの眺めがよく、南西方向には大阪へ続く山並みがきれいに見え
北側には北野天満宮の森と後ろの低い山がとてもよくマッチして心が癒されます。
角度によっては左大文字も見えます。
東京の高層ビルからの眺望とは違う、京都らしい目に優しい眺めです。
写真を撮りたかったのですが、場所が場所ですから撮っていません。
署の隣りには府警の北野待機宿舎と独身寮があり、商店街もすぐ近くにあり東京巣鴨のように
お年寄りも多く住みやすい所です。

この上京警察署は旧西陣警察署で、移転をしてこの地に来ました。
先代が子供の頃、戦前は智恵光院通上長者町、現在は府警待機宿舎の場所にあったそうです。
戦中、爆弾が落ちたとかでその後、署は千本今出川の現在、京都銀行がある所に移り
そして今の北野天満宮前と。
最初の地、現在の待機宿舎は昨年、建て替えのため取り壊され、埋蔵文化財の調査をすると
豊臣秀吉の聚楽第の石垣が出てきて、今、保存するか建て替えを続行するか協議されています。

現在の場所は元々何があったのか先代もハッキリ覚えていないようで、おそらく天満宮の敷地か
武道の建物があったように思うと言っていました。

少し前までは署の玄関にモンキーバイクの白バイが展示されていて、いつも眺めていました。
今は玄関前に大きな「交通安全」と書かれた赤いだるまが置いてあります。
駐車場の石畳はかつての市電の敷石のような気がしますが、定かではありません。

用事が済んだら上京署で「今日は何のご用件で来られましたか」というアンケートを提出します。
生活安全課はご存知の通り銃砲・火薬だけではありません。
質店・風俗・遊技業・古物・警備業などなど、たくさん仕事を抱えている部署なんですね。
担当者が変われば引き継ぎも大変だと思います。最近は2年くらいで担当者が変わるみたいで
仕事がわかった頃に異動となって。
せめて申請など事務手続きは専門のパート女性とかOBでも置いて、係の人の負担を少しでも
減らす方がいいと思うのですが。
宇治金時が子供の頃、用事でおとなと一緒に警察署へ行くと、半紙にそばぼうろを包んで「はい、どうぞ」と
お菓子をもらい嬉しかった思い出があります。
もうあれから何十年。時代は変わりました。私たち所持者は厳格な審査をクリアーして猟銃の所持を認められています。つまり平穏な生活をしている人々です。例えこわーい顔をしたおじさんでも、声の大きなおじさんでも
所持者は善良であるという前提です。
しかし、警察署へ行けば日頃我々が目にしない、耳にしない様々な事件や困りごとがたくさんあることに
気づかされます。昔に比べて世の中が荒れてきたと言いましょうか。
ですから、猟銃の資格審査において更に厳格にと言うのもうなずけます。
ふと、町で出会う人を見て「この人お金もあって立派に見えるけど、猟銃の資格取れるんやろか?」と
思うことがあり、自分の仕事柄いつの間にか人間観察をしている時があります。

DSC04540.jpg
上京警察署へ行く途中、立本寺というお寺を通り抜け、しだれ桜が満開。
大木ではありませんが、地面につくほどの見事な枝垂れ。
ここは夏、ハスの花もきれいです。お寺を通り抜けると母校、仁和小学校があります。
御室仁和寺はまだまだ先で遠いですが、小学校もお寺に囲まれ、とにかく仁和学区にはお寺が
とてもたくさんあります。

DSC04541.jpg
上京署駐車場からの北野天満宮鳥居。もやもやした木は桜ですが、こちらは遅咲きのようでほとんどまだ
咲いていません。

DSC04544.jpg
これが一番きれいだったかも。たった1本ですが、べに色で満開でした。府警独身寮のかたすみで
目を惹きます。

かるーくお花見をした後はこの辺りの名店で今夜の夕食のお買いもの。
「きたの」さんで昆布味のお漬物を、「鎌田」さんで先代の好物うなぎの蒲焼を買い、これで手抜きはバッチリ。
「きたの」さんのお漬物は種類も多く、京らしくあっさり味で店員さんも愛想よく射撃大会の賞品にも
使います。「鎌田」さんの蒲焼は炭火焼関西風で昔から人気があり、大抵、午前中には売り切れてしまいます。
帰宅するとテレビで「歌舞伎俳優の銀座お練り」の映像を見て、超ごきげん!
列の先頭に居た中村時蔵・又五郎丈を見て手を振っていました。
時蔵丈は頭の回転が早く、お話じょうずで普段は女形には見えない。うーん、どこか老舗のご主人みたいな
雰囲気をお持ちで、又五郎丈はとても声が良く、もの静かな時もあればウィットな冗談で周りを和ませます。
射撃クラブの集まりでのこと。お店のママが手を骨折して包帯をしているのを見て
「よかったね。怪我したのが手で。商売道具のその口でなくて」と言って大笑い。
この方が皮肉っぽく言っても誰も怒る人はいないくらい親しみのある役者さんです。

彼らは故萬屋錦之介さんの甥で、彼らが20代の好青年だった頃、南座の舞台がはねた後、よく
店へ遊びに来ていました。今の四代目社長もまだ小学生で、子供好きな役者さんに店で遊んで
もらっていました。
先代が4代目に「お友達帰らはるでー」と言って、玄関でズッコケていた役者さん達。
京都では楽しくて懐かしい思い出がいっぱいですね。
宇治金時も女学生の頃、彼らに歌舞伎の世界へ引き込まれ「お芝居見た?」「面白くて良かったよ。」
「ハハ八ッ 子供には受けるんだよなあ」と歌舞伎のナゼ? を色々教えてくれて、丁寧できれいな日本語
も教えてもらいました。感謝です。
還暦前のお年頃とは言え、50年以上も舞台に立ち続ける彼ら。世襲制と言われながらも、まだ良いお役がつかない若手役者時代は芝居へのひたむきな情熱を歌舞伎を知らない人たちに少しでも見てもらいたいと
願っていたように思います。今のように携帯電話やインターネットがなかった時代でしたから
情報発信なんてできなかった。

本来なら勘三郎さんがこのお練りの先頭の真ん中にいるはずなのに、この方の姿が無い事に多くの人が寂しい思いをしたと思います。幼馴染の時蔵丈は勘三郎さんの思いを胸に、昭和30年代生まれの50代の役者さんを先頭に40代、30代と列をなし、新しい歌舞伎座が新世代の彼らと共に繁栄するよう願っています。
彼らに負けず私たちも商売がんばります。



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