これが西陣 弐の巻
10/15(Sat) 21:41|よもやま話comment(0)trackback(0)edit
いつもつたないブログをご覧頂きましてありがとうございます。ブログ閲覧スピードが早いため、記事の更新が気になります。
来月になると狩猟解禁前で忙しくなりそうですので、それまでに少しでもブログを書き進めます。
壱の巻から随分、時間が経ってしまいました。えっ? どんな内容だったか覚えていませんって? いいですよ。続編ではありませんから。
前回は夜の西陣でしたが、今日は昼の西陣です。
壱の巻の時に拍手コメントを頂戴し、ありがとうございました。そのコメントを少しご紹介致します。

京都の老舗は伝統を守っているように見せかけて代々の経営者や職人達が新しい試みを繰り返し、お客さんに評価され、磨かれた物だけが残っていて、古都京都だけではない。

コメントの通り、職人の技術力の高さ、近頃の若手経営者は新しい試みに挑戦している所が多いように思います。また後ほどご紹介します。

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西陣を語るにはここをはずせません。
創業294年の料亭、萬亀楼さんです。京都には元々、宮中の有職料理・茶の湯の懐石料理・寺院の精進料理と特色あるお料理がありまして、上京区には御所、茶道三千家・数ある寺院が揃っています。
その有職料理の流れをくむ萬亀楼さんは京料理の料亭でありながら、宮中での祝い事で披露する式庖丁と言う、箸と庖丁だけで魚をさばく伝統流儀を受け継いでいます(詳細は萬亀楼HPを)
あっさり・こってり・まったり・さっぱり・はんなり等、味を表現する言葉が豊かな京料理が連綿と受け継がれている料亭です。
表はさほど広く見えませんが、玄関のある猪熊通から次の通りまで奥行き深い料亭です。玄関の暖簾には魚と亀が描かれアーティスティックで、“まんかめ”とある暖簾は調理場の勝手口です。夜には外灯が灯り、前を通るとお出汁の香りが漂ってきそうです。

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萬亀楼さんの近くに五代将軍綱吉生母、桂昌院の実家菩提寺と言う所があります。しかし、どう見てもお寺には見えず、このように門は常に閉められています。桂昌院のお墓があるわけではなく、生家がこの近くだったと言われています。

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浄福寺の門は赤門と呼ばれ、幼稚園もあり、園児を乗せた幼稚園バスが出入りします。殺生は禁止と言うのは仏教の教えでしたっけ。我が商売には耳が痛い。
お参りに、仏像を見る為にと目的を持ってここへ来るわけではなく、緑と空間があるのでリフレッシュに、近道のため通り抜けをしたり、周りにビルがないので、時代劇のロケにでも使えそうな景色です。

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仏像について殆ど知識を持ち合わせていない宇治金時です。左は小さな千体の薬師像が並び、薬師如来は手のひらに薬箱を乗せ、その中には体と心の病を治す薬が入っていて、この千体は千の病気を治すと言います。本当に千体もあるのか? と思っても実際数えることは困難で、手前の後ろを向いた像の方に目が行きました。
背中の中に仏像がありました。ところで前はどんな顔をしているのか、想像し・・・福助みたいな顔かな? 気になる。

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私が入れるくらいの大きな鐘があり、お寺の鐘と言うと安珍清姫で知られる女の怨念、道成寺の鐘を思い出します。道成寺は和歌山県にありますが、意外にも例の鐘は京都市左京区の妙満寺にあります。その経緯は寺のHPに書かれていて、鐘の公開はされていません。偶然にも今年の顔見世では車引、京鹿子娘道成寺が演目に入っています。
写真の鐘は一日、何回か鳴らされ、午後5時に鐘が鳴ると寺の門が閉まります。もしかしたら昔は西陣織の織工さん達がこの鐘の音を聞いてその日の仕事を終えたのかもしれません。

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左は千本今出川東北角、元時計店にある今も正確に時を刻む現役の時計です。この向かいのお茶販売、岡田梅寿堂さんのHPを見ると、昭和初期には既にこのお店があり、繁盛していた様子を写した写真が見られます。何年から動き続けているのでしょうか。夜は文字盤が黄色くぼやっと見えるかと思いきや白光して針と文字がくっきり浮かび、とても見やすいです。できれば前の街路樹をもう少しカットしてもらえたら。銀座和光の時計よりも古いかもしれません。アンティークのような物も現在の街並みにしっくりなじんでいるのが西陣らしくも思えます。
ちなみに京都の代表的な時計と言えば、京都大学時計台。この時計は大正14年生まれの電気時計ですが、現在は電気と機械で動いているのだそうです。
右の時計は千本中立売西南角にある止まった時計です。こちらはいつ頃できたのかわからないそうです。数年前まで、広告看板で時計は隠されていた為、“こんな時計あったっけ?”と、気付く人もあります。
かつて千本中立売界隈は映画館が多く、今の新京極くらい賑やかな繁華街で、浅田次郎のオリオン座からの招待状にも登場し、西には水上勉の五番町夕霧楼の遊郭五番町がありました。

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千本通から西に入った旧遊郭辺りにはすっぽん屋、焼肉屋、日活の映画館、そしてキタノ大天狗と言う所があります。はり・やいと・小児虫はり、と書いてあります。右の白い所にも色々メニューが書いてあったのですが、消してあります。指圧・マッサージの類いです。昔は母乳の出ない人も来たり、中の和室に雑魚寝して施術を受けます。白い杖をついた人が近所のお家へ出向く姿も以前は見られ、腕の良い人も多かったそうです。今は整体院や整骨院が増えましたので、ひっそりとしています。

さて、西陣の繁栄に欠かせない物が今出川通・中立売通・千本通と昔の西陣を通り抜けていた市電です、北野天満宮近くには市電の車庫もありました。
宇治金時も幼稚園の頃、千本丸太町電停から市電で植物園へ遠足に行った記憶がかすかにあります。

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上京区のHPに掲載されている写真は北野天満宮の正面を背に、丁度、現在の上京署前です。白梅町にある嵐電の駅は元々はこの辺りにあり、その頃は今出川通はここまでで、市電の終点でした。更に西へ市電を延伸するため、嵐電の駅は現在地へ移ったそうです。

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北野天満宮東側の風景で、なるほど、ここだけ御前通が広い理由がわかりました。現在はカステラドパウロのある建物です。電車を除けば今とそんなに変わらない気がして、街並みの古い写真を見て、西陣は変貌していないなと思います。
千本今出川角にある岡田梅寿堂さんのHPでは懐かしい昭和初期の写真が見られます。鮮明で今出川通を拡幅する前の街並み、北野幼稚園の送迎バス、京都競馬場など貴重な写真が公開されていますので、特に京都の方は見る価値があるかと思います。子どもの姿が多く見られ、中でも市電の花電車はどんな色だったのか、あんな電車、復刻して欲しい気もします。明治、大正時代に既に保育園や幼稚園があったなんて、信じがたいのですけれども。
その当時を知る人は居なくなり、戦争を知らない私達にとっては戦後の荒んだイメージが強いのですが、戦前でも娯楽があり、時計屋さんには人垣ができ、人が生き生きして、活気あふれる様子が見られ、その暮らしぶりに少し驚きました。

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千本通からそれた細い道に面した所にもボーリング場や映画館がありました。
右の写真、玄関の左にバッタリ床几があります。電車の補助席のように、これを手前に下ろすと床几になります。元々は腰をかけるのではなく、商品を並べて売る台にしていました。室町時代にはバッタリ床几らしきものが存在していたとか。

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安倍晴明の式神のような物が見え、一風変わったお家には瓦がひしめき並んでいます。鬼瓦です。玄関には大黒さん。わたくしの背丈くらいあります。ここは瓦屋さんです。京都市内には1400のお寺があると言われ、瓦屋さん、造園屋さん、宮大工さんなどは安定した職業と思いますし、文化財の修復もエンドレスな作業ですので、専門性の技術を習得すれば、いくらでも仕事があり、一生働き続けられ、若い人にも関心を持ってもらいたいと思います。

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西陣にはまだまだ、いっぱい見どころがありますが、長年住んでいても知らない事の方が多いので、この辺で終わります。割賦販売のマルヨシ百貨店、スター食堂、喫茶マリヤ、おもちゃ屋、帽子屋、薬屋、靴屋、漢方薬店、紳士服テーラ他、たくさんのお店が並ぶ繁華街、恐らく今より昔の方が夜の千本通はネオンや看板で明るかったと思います。大勢の人が千本通へ繰り出し、時間を忘れて楽しい時を過ごした時代も、その面影の無くなった今も、東の空に輝く月はその様子を見続けています。

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時々、内祝いに頂戴する品です。小判が似合いそうな古風な外箱の中身はお米と塩、海苔、お茶などおにぎり仕様と言いますか、セットになっています。お米屋さんが自店のお米と他店の商品を詰め合わせてギフトにしています。ありそうで無かったギフト。とらやの羊羹と一保堂のお茶をセットにして売るようなものですかね。
例えばイノダコーヒでケーキを注文すると自家製の物が出てきます。でも、シュラメールのケーキの方が美味しいし、一緒に食べたいよな・・って思う時があります。子供みたいなわがままを言いますね。勿論、実際は×ですよ。
忘れていました。このお米屋さんは八代目儀兵衛と言う名前です。他店の商品を仕入れて自社製品とセットで売るよりも同じような物を自社でまかなって売る方が儲かるはずですが、あえて専門店の力を借りるということをしています。
ブログを読まれている方は感づかれていると思います。京都は質の高い専門店が多いため、店名で一流か二流かの判断をしてしまいます。ですので、スーパーやコンビニのブラベートブランド商品とやらは手に取りにくいです。
お米だけよりも他の品が入っているから、もらって重宝と言いたいわけです。

ある日、八坂神社石段下、祇園会館(今はよしもと新喜劇の劇場)の南を歩いていたら、歩道に長蛇の列ができていて、見ると“炊き立てご飯の店”だったんです。店の名前も確認せず“何でご飯ごときでこんなに並ぶのか?”っと思っていました。
京都は米どころではありませんし、スーパーでもお米を売るようになり、パン食が増えて食習慣も変わり、街のお米屋さんは減りました。更に外米が輸入され、健康と言う名の下、お米は血糖値が上がる、炭水化物を摂取しないダイエット方法が広まり、減少どころか不買みたいになってしまって、これでは農家の人もお米屋さんも青色吐息となってしまいます。
でもね、日本のお米は品種改良され、味はどんどん美味しくなっていて、日本のお米は世界一ですし、口にできる事を感謝しないとバチがあたります。
あっ、儀兵衛さんだった。お米屋さんの後継ぎさんが先のご飯屋さんとお米の販売をされています。その原点は“お米の美味しさをわかってもらう”です。ご飯屋さんは銀座にもあり、某航空会社の機内食へもお米を納品されていて、京都の人はあまりこのお店を知らないかもしれません。私も知らなかったもん。メディア戦略にも長けていて圧倒的に他府県の人から人気があります。その影響か“土鍋炊き立てご飯”を売りにする飲食店が増えています。

“経営者が新しい試みを繰り返してお客さんに評価される”と、冒頭の拍手コメントを下さった方が言われた通りと思います。商売においては必ずしも大手になる必要は無く、先の瓦屋さんも同じく“おたくに任せますよ”と、お互いの信頼関係の上に代々商売が続いていく姿は京都の企業やお店の特長ではないかなと思います。規模は小さい方が目も行き届き、小回りが利き、質の低下を防ぐことにもなります。それは物を作る・売る事でも仕事を請け負う形でも同様かと。

さて、よそさんの事はさておき、百貨店が苦戦をしいられていると聞き、いよいよネット通販主流の時代なのか? 店頭で買う品物として自動車があり、これは大きすぎて宅配できない事とアフタ―がついて回る事が理由でしょうか。猟銃もアフターという点では車と似ているように思います。
当店では猟銃の販売においては今の所、通信よりも対面の割合が高く、むしろ小物類はお蔭様でネットショッピングのご利用が増加中で、中には何度もご用命頂くリピーターさんもいらして、ありがたく感謝すると共に遠方であり、お顔が見えなくとも私どもの常連さんですので、ご来店と同様に身近に銃砲店を感じてもらいたく、通販でのデメリットを少しでも減らせるよう努力したいと考えております。
京都に居ると観光に係る事もやってみたいと浮気心が芽生えますが、他へ触手を伸ばすと本業がおろそかになり、銃砲店をご贔屓頂いているお客様方のご要望に応えられなくなってお客様の足が遠のいてはいけません。お客様からお叱りを受けながらも、好まれる店をモットーにface to face、対面販売の強みを生かし、ご来店、通販を問わず、これからもお客様とのパイプを更に太くして、お得意様を増やし、西の横綱を目指します。これからもご贔屓のほど宜しくお願い致します。
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