河原町といえば・・・
03/23(Wed) 16:54|よもやま話comment(0)trackback(0)edit
今日もいいお天気です。京都でも桜が咲いたと聞き、気分陽々。こんな四字熟語はありません。明るく暖かいイメージを字にしてみました。嵐のlove so sweetを聞きながら今日も書きます。
次の日曜日は京都府クレー射撃協会の会、そしてその次は、エッ、早くもヘタクソクラブ例会です。いやー、1ヶ月が早いです。協会の会は会員さんが運営をされますので、ここではヘタクソクラブのように一日、忙しくする事はなく、私の顔を見ると「年会費払わな」と、宇治金時の顔が請求書に見えるのかもしれず、公式大会の申込み受付をしたり、のんびりさせてもらっています。
春になると気持ちが軽くなるせいか、お客様から「ちょっといつもと顔がちがうな」「疲れた顔をしているからでしょう」「その方がええわ。毎日、疲れとき」と言われ、へっ? 褒められたのだかけなされたのだか微妙。思わぬことを言われてたまにドキッとすることがあります。男性はどんな時にドキッとするのかわかりませんが、女性は自分が意識していない事に目を向けられるとドキッとするのではないでしょうか。奥様達が「ヘアースタイルを変えたのに、主人は全然気づいてなくて、鈍感」と、言い、男性側は「気付いてないのと違って、わざわざ言うことでもない」と、男性と女性では表現の仕方が異なります。御所の桜もきれいですし、桜は女性も美しく見せてくれるはず。「桜を見に行こうか」と、奥様とお出かけもこの時期いいのではないかと思います。
“welcome ようこそ日本へ 君が今ここにいること とびきりの運命に心からありがとう 今日も君が君らしく青空の下で輝いている きれいだね 君こそが我が誇り dear woman”  SMAPのdear womanの歌詞から。心で口ずさんで下さい。えっ? もし、本当に言ったなら “何言うてんの、浮気でもしてるんちゃう?” と、おそらく逆に怪しまれるかと。
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清水へ祇園をよぎる桜月夜 今宵逢う人みな美しき・・・与謝野晶子の短歌。桜も月も綺麗で、会う人までもみんな美しく見えるという、この時期にふさわしい一句です。桜に酔い、お酒に酔い、後はお好きに・・・石川さゆりのウィスキーがお好きでしょをバックミュージックに: 小栗旬ちゃんが相手なら失神するだろう(宇治金時の妄想) しかし、円山公園のしだれ桜を見ようものなら今はゴミのように人・人・人で、こんな情緒的な風情はかけらもありません。4月3日はお花見ではなく、気分陽々・・・さぁ、ヘタクソクラブへGo! Go! 「行ってくるぜ、お母ちゃん」

冒頭から色気づいたお話に面くらわれたかもしれません。実は前回のブログの何でもコンピューターと言う内容をご覧になった方が貴重な拍手コメントを下さいましたので要約し、ご紹介します。
仕事の評価が数字に偏り過ぎ、経験も数値に置き換えるようになり、偏った数値崇拝は見直すべきで、コンピューターに教えられるもコンピューターは教えられた事を咀嚼してその先を考え実行することができない。会社も社会も人で成り立ち、人を育てることが第一である。
お目にかかったことのある人かはわかりません。ガンマンだと思います。おそらく第一線でご活躍の企業戦士とお見受けしますし、このように筋の通ったコメントを頂き、襟を正し、正直なところ自分が脱線していて、宇治金時はやはりゆる~いキャラクター路線だということを再認識しました。TVのコメンテーターと同じで言うは易し。宇治金時も好きなことを言っていますが、企業で働く人たちは私たち以上に身をもって様々な事を感じ、考え仕事をされているのだなと、ありがたいコメントにお礼を申します。
このブログをご覧になる人は大人かつ同じ趣味を持つ人ばかりで働いている人が多いと思います。なので、射撃に関係ない事柄も取り上げることによってそれに目を向け、もしかするとブログを見ている人の中にはその話題に関係しているかもしれず、応援してあげたり、違った視点で見ることができるのではないかと、様々な事を浅く取り上げております。そもそもブログの趣旨はヘタクソクラブのメンバーさんを始め、小林銃砲火薬店をご贔屓にして頂いているお客様の交流、そして、ヘタクソクラブにも小林銃砲火薬店にも行けない人には「仮想」ではあるものの一緒になって賑やかしてもらいましょうということですので、気軽にcommentをお寄せ下さい。

3月中に進学祝いを探しに市内中心部へ出かけました。京都以外の人にはいまひとつわかりにくいかもしれませんけれども、皆さん、記憶のストレッチをお願いします。

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中京区烏丸通姉小路にある新風館です。開業15年の今月末で営業を終了し、ホテルに生まれ変わります。京都は今、ホテル建設ラッシュ。京都は民泊も押し進め、地元不動産業者がサイドビジネスに宿泊所を所有するのが流行です。新風館のレンガ造りの外観は大正か昭和の建築で京都市登録有形文化財となっているため解体せずに利用されるのではないでしょうか。

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各階一周できる3階建てにはテナントが入り、中央にはステージが設けられ、歌手が歌ったり、イベントも催されていました。ベビーカーを押す若い夫婦や犬を連れている人など、市内中心部では珍しい開放的な商業施設でした。


NTT
新風館はNTT京都の敷地内に建っています。烏丸通と東洞院通、姉小路通と三条通に面し、鬼門方向だけ欠けた広い敷地は一等地で、商業用不動産はNTT都市開発が所有し、NTT祇園もホテルになるそうです。明治5年西京電信局とあり、東側には中京郵便局もあり、旧銀行など、この辺りには石造り、レンガ造りの建物が現存し文明開化の面影を残しています。

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何のお店でしょうか。こけし。そうですね。Bento&Coのショーウィンドに並べられているこれは頭部分はお椀を逆さまにしてのせた丸型二段のお弁当箱です。日本ではこのようなタイプのお弁当箱はあまり使いませんが、今、海外ではちょっとしたお弁当箱ブームで、このお店も海外への販売が多いそうです。経営者はフランス人でお店にはマダムがいらっしやいます。

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錦天満宮の鳥居は有名です。何が有名かと言うと、石鳥居の両端が建物にくっついているように見えますが、実は端が建物の中に入り込んでいるそうです。元々鳥居のあった所に後から建物が建ったため、鳥居の端を切り落とすわけにもいかず。向こうに見えているのが錦市場で、「京の台所」と言われて久しいのですが、今では京都の人は寄り付かず、トラベラーズストリートと化しています。神社などは大抵、東か南向きなのに、なぜこの天満宮は西向きなのだろうかと考えると、錦商店街の方向を向いている。

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ここには以前、水槽に大きな錦鯉がいたのですが、今はいません。しかし、おみくじロボットがあり、獅子の方は獅子がおみくじをくわえてきます。神主の方はクルッと後ろを向いておみくじが出てきてアナログロボットは愛嬌があります。

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四条河原町近くに柳小路と言う細道があるのをご存知ですか。昔、宝石店の寺内があった所(現在はZARA)の北側から北へ100mほどある道です。か細い柳もあり、今は和文具屋さんや飲食店などが軒を並べ、四条通の喧騒とは違い静かです。その西にも花遊小路という道があり、この辺りは小路が入り組んでいて、新京極と河原町にはかつて映画館がたくさんありました。美松という映画館には中学生の頃、映画鑑賞の日というのがあり、何の映画を見たかは覚えていませんが、現地集合・現地解散と同級生との良い思い出です。映画館の跡は忍者屋敷をイメージした飲食店になっていました。この新京極や河原町からはずれた小路は勧誘販売の人とか酔っ払いがいたりして、夜、女性が一人で歩くには少し怖かった所ですが、昼はティーンエイジャーがお買い物を楽しんでいます。

そして河原町通。四条通はオフィスもショップも混在していますし、やはり京都のゴールデンストリートは河原町だと思います。昔からある、うなぎのかねよ、蛸薬師にある焼き芋のお店も懐かしいのですが、今から30~40年前はお店がひしめき、どんなお店があったか思い出せますか? イレブンという当時では高いビル、大きな般若のディスプレーのあったステーキ屋、キョートヤという輸入食品店、古城、白雪のネオン看板、本屋は多く、駸々堂・京都書院・丸善などがありました。丸善は一度、閉店しましたが、旧店舗から北にある京都BALの地下1階・2階に再出店しました。レモンを爆弾に見立てる梶井基次郎の小説“檸檬”にも登場する京都の丸善ですから、京都にはこだわりがあったはずです。旧丸善は服飾・メガネも扱い、文具も充実していましたが、新店舗は規模は小さくなったものの、落ち着くのでつい長居をしてしまいます。四条通には淳久堂書店もあります。でも私は丸善派です。今は書店に替わってカラオケ店が増えました。河原町通から西は修学旅行生や若い人が集まり、東は木屋町通に通じているので、大人が多く、河原町通の東側は御池通から四条通までたくさん筋があり、そう言えば、昔、昼間でも通りの角にプラカードを持ったおっちゃんがちらほら立っていました。よく知らないのですけれども・・・・あれは・・・ピンクサロンの広告でしたか? そういう類いのお店が多かったのですかね。木屋町は大衆的で、先斗町は少し格が上がり、鴨川の向こう祇園はスナックにクラブと、東へ行くほどお金がかかる夜の京都。当時、夜になると河原町通には若者がシャコタン車に乗り女の子をナンパしたり、河原町で遊ぶのがかっこよかった。「僕もそうやった」と、いう人もいらっしゃるかもしれません。喫茶店の多い河原町界隈で物静かな大人達はソワレと言う喫茶店へ行ったそうで、私はレトロなソワレに行ったことはありません。まあ、昔の彼氏と再会とでもなれば、ええ年のおっちゃん、おばちゃんになった姿を直視できず、現実逃避にソワレに行こうかという気にはなるかもしれません。
三条河原町にある、からふね屋という喫茶店のディスプレーには
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ズラーッとパフェが並びます。かなりの種類があります。中には驚くものもあり
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左からとんかつ、エビフライ、アメリカンドック? 何じゃコレ? と言う声が聞こえてきます。からあげもあったな。皆さん、食べる勇気ありますか? 
味なんて何のその、更に驚いたのが
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ジャンボパフェ。オブジェと思いきや、10000円です。そして横綱は
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50000円と、恐れ入りました。でも、これって作っている内にクリームがとけてこないのでしょうか。運ぶのも重いですよ。八つ橋もこんな大きなサイズがあったら面白いかも。お子さん・お孫さんが喜びそうなお店です。詳しくはからふね屋のwebをご覧ください。

河原町と言えば、この人をはずせません。“河原町のジュリー” 宇治金時にとっては幻の人、すれ違っていたかもしれませんが、河原町のジュリーと確信はありません。誰が名づけたのか噂は色々ありましたね。ハハッ、平成生まれの人や京都以外の人は「歌手?」って思いますよね。そう、沢田研二のジュリーは京都出身ですから、そう思いがちですけれども、全く関係ないんでしたよね。その正体はホームレス。なんかこの人だけは有名だったみたいで。当時は銃砲店に近い二条公園にも鴨川にもホームレスは居ましたけれど、いつからか市内ではそういう人たちをほとんど見なくなりました。河原町のジュリーはなぜ有名だったのか。賑わう繁華街で何を思い暮らしていたのでしょうかね。東京ブルースみたいに河原町ブルースなんぞを作って歌手のジュリーに歌ってもらいたいな。
さて、記憶のストレッチになりましたでしょうか。ストレッチで頭の中の凝りをほぐして脳を健やかに。今回は若い人にはちんぷんかんぷんかもしれず、申し訳ありません。お父さん、お母さんとの会話のネタにどうぞ。ブログを書きながら、自分も含め人はなぜ、昔のことを懐かしむのだろうか。

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お彼岸なのでおはぎです。鳴海餅本店のいちご大福と青のりおはぎ。いちご大福は2種類あって、こちらは白こしあんで、お餅がやわらかく好みです。青のりは見た目、お茶っ葉をまぶしたようですが、子供の頃、動物園近くの丸太町通を下がった岡崎道にあるおはぎやさんへ連れて行ってもらったことがあります。お店の名前を覚えていなくて、そこに青のりと道明寺のおはぎがあって、おはぎを見ると思い出し、久しぶりに青のりおはぎを食べました。道明寺のおはぎは今の所探し当てられず。
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