伝説のメダリスト
02/04(Thu) 22:14|よもやま話comment(0)trackback(0)edit
パソコンを入れ替えた為、パソコン音痴のドタバタとブログに使用する写真のアルバムを探すのと、ブログの写真がアップロードできないトラブルとが重なり、ゆっくり腰を下ろして作業をするには少し間があきました。
お節分はどちらかへお参りになりましたか? 京都の節分と言えば吉田神社、壬生寺、数知れず・・・節分は神社もお寺も問わず、お年寄りで市内はにぎわいます。吉田神社では福豆を買うと抽選で乗用車ヴィッツが当たるそうな。他にも甘酒やおいしいものをふるまってくれる所もあります。ここ銃砲店のあたりは北250m、西400m圏内に20以上のお寺があり、節分参りで年に一度たくさんの往来があります。銃砲店の男衆は歩いて3分のひょうたん寺へお参り。このお寺の門は節分の時だけ一年に一回しか開かず、商売繁盛の融通御守(ひょうたん)は・・・・1万円するそうです。ひょうたん、と言えば豊臣秀吉で、やはり縁のあるお寺です。

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出水通にある右手前がひょうたん寺(福勝寺)、その向こうは出水の毘沙門さま(華光寺)、この通りだけでも9つのお寺があります。壁の5本線でもわかるように格の高いお寺があります。意図的にお寺が集められたと考えられます。バス通の千本通からは異世界です。京都には○○寺と正式名でなく、通称名で呼ばれるお寺が多く、千本えんま堂・釘抜地蔵・だるま寺・つまとり地蔵、湯たくさん茶くれん寺、などなど、昔話に出てきそうな名前です。既にブログに載せた六角堂や黒谷さんもそうです。

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こんな看板はこの辺りならでは。法衣のクリーニング屋さんです。他にも墓いし屋さん・おぶったん屋さんがあります。銃砲店の目印、千本通に出していた鉄砲の看板は屋外広告条例に従い、撤去しました・・・・お客さんから「看板無くなって通り越してしまった」と、ご不便をおかけして申し訳ありません。

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これも寺、あれも寺、たぶん寺~愛の水中花~七本松通に並ぶお寺。平屋が連なるので西の空が開放的。とりわけ夏の日暮れ時は何とも言えない美しさ。仕事で頭の動きが悪くなると、この通りを歩き、排気ガスも吸いながらの深呼吸で頭をリフレッシュ。

いつも月末は忙しくないのに、1月は年初めに許可申請を出された銃の許可がおりた為、多忙でした。特に女性のご来店が多く、所持者の女性方の他、奥様同伴のお客様がこれまた多く、中には「お父さん、これ(この銃)にしたら」と私たち以上に勧めて下さる太っ腹の奥様や「このケースの方がいいのとちがう?」と一緒に商品を選ばれる奥様、ご主人と猟犬のお世話をする奥様と普段は無機質な店内も先週は華やかでした。府北部から来店されたお客様も長いおつきあいで、今でこそ車で来易くなりましたが、宅配便の無い時代は飛脚さんと呼ばれる丹後の運送業者が二条駅前にいくつかあり、丹後のお客様から「○○急便にことづけて」と、荷物を依頼しました。丹後は丹後ちりめんの産地で、京都市内の西陣や室町は二条駅が近く、商品が運ばれていました。
他にも今年ハンター1年生のお客様は初めてキジを獲ったと興奮気味で、猟犬も飼おうかと話をして下さり、これからの狩猟を担っていく頼もしい存在です。

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そしてたまに立ち寄ってくれるノリのいい外人さん。忍者と侍が好きで日本語はカタコトOK、4代目とはファミリーのような親しみを感じているのか「Why 坊主?」 と4代目に尋ね“ドラゴンボールのクリリン”に似ていると英語で言っていました。今日はこの衣装を着て壬生寺に行きたいから行き方を教えて欲しいと言うのでipadで4代目が教えていました。

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都タクシーに乗ったら「大吉」号で、五円玉の入ったこれをもらいました。北野天満宮で祈祷済なのだそうです。京都のタクシー会社も色々工夫がなされていて、写真のタクシーは大吉号ではなく、たまたま銃砲店の前を通ったもので、京都の細い道に適したこまわりのきくタクシーです。

銀行に預金をしていても増えないのが当たり前となり、預金者対象ではないものの利息どころか手数料を取られるなんて、理屈はわかっても、現実になるとは思いもしませんでした。お金がだぶついてくると銀行は日傘を差してくるし、物の値段が上がり、小売業にとっては「さして今、必要でないものは買わない」と、消費低迷を懸念するところです。消費税2%上がる事が気がかりでしたし、発熱している人に解熱剤を与えるような対処療法ではないかと、元の病気を治さない限りは手を打っても一時的な効き目でしかないと考え、昔みたいに経済が安定しなくなり、先が読みにくくなりました。世界はつながっているので仕方ないのかもしれません。
今度の日曜日は京都市長選です。候補者の乗っていない選挙カーはしらけて、京都市民は政治や経済への関心が薄いのか、新人は公約を現職は公約はもとより実績も評価され、投票率が低いとどうなるか。日曜日の午後3時過ぎ、烏丸通南行は三条通から渋滞し、四条通が越えられない。同じく夜はバスで烏丸錦から四条烏丸まで15分もかかり、歩きなら往復できるよな。渋滞は改善されているって市は言うけれど、どこを見て言っているのか。北大路通や千本通まで「四条通は迂回してください」と表示するのを見て費用29億円はドブに捨てたと思うしかありません。首長の器には帯に短し、たすきに長し・・・選挙の1票も難しいです。

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節分の少し前、大きな満月。いきなり見るとびっくりします。きりっとしたお月さんは写真だとぼやけてしまい残念。ただ一つの月は世界で同じ物を見ることができます。自然と月の方へと引き寄せられ思わず普遍のお月さんに手を合わせます。右大文字の陵線も月明かりでうっすら見えて、流麗な月にうっとり。夜でも素敵な景色に出会えます。

さて、本題です。今日は滋賀県のお話を取り上げる予定でしたが、happyなニュースが飛び込んできましたので、差し替えます。
先日、インドニューデリーで開催されたアジア五輪予選射撃大会においてスキート女子の石原選手が1位となり、リオオリンピックへの出場権を獲得しました。スキート女子では初出場という喜ばしいことです。既にトラップ女子は1つ得ていますので、女子は2名オリンピック出場が決定しました。クレー射撃では女子が2歩リードというところでしょうか。男子も後に続いて欲しいです。
私もよくはわかりませんが、海外大会に出場してオリンピック出場権を獲得するようで、オリンピック予選会で出場決定という方式とは異なります。
石原選手のおじい様とは2.5代目が全日本選手権でご一緒したり、おじい様は今の天皇陛下が東宮時代にクレー射撃の指導をされたと聞いています。お父様とは私ども先代が本部公式などで競技を共にしたこともあり、4代目もある事で石原選手と以前、お電話で話をした際「私どもの射撃場へも来て下さい」と気さくなハンサムウーマン。プライベート射場もお持ちのクレー射撃界の名家です。東京オリンピックも見据え、リオ大会でのご活躍をお祈りいたします。
そこで、クレー射撃のオリンピックメダルはただひとつ。(2.5代目がクレー射撃日本選手団の一員で、自ら撮った写真や記録が三冊のアルバムに分かれていたため揃えるのに手間取りました。)

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1992年 スペインバルセロナにオリンピックでは初めて日の丸が揚げられた瞬間ですが・・・・日の丸が写っていない。
当時、44才、トラップ男子代表の渡辺和三氏です。決勝はチェコの選手と同点のトップ。勝っても負けてもメダル確定の中、かたずを飲みシュートオフを見守る日本選手団。結果、惜しくも2位となりましたが、ご覧のようにさわやかな笑みです。渡辺氏はロサンゼルス・ソウルオリンピックに続いて3回目の出場で、ソウルでは表彰台まであと一歩の所で、バルセロナには期待が寄せられていました。ところが、後日談によると日本はバルセロナ大会のトラップ男子は出場権を獲得できず、オリンピックの1か月半前に幸運にも他国の出場権が回ってきた為、渡辺氏の出場が決まり、短期間で前傾姿勢のゆっくりとしたフォームに改造し、練習量も3倍に増やし、自信をつけて集中力を養いバルセロナへ乗り込みました。そして銀メダルまで一気通貫。見事、日本クレー射撃界初のメダルの快挙を成し遂げました。運も実力の内と言われるように幸運を引き寄せています。この年は成績が振るわなかった為、オリンピックが目の前に迫りながらもフォーム改造に取り組む決断はよほどの覚悟が必要だったと思います。集中力の秘訣は「絶対に勝つんだと言う自信」であり、その自信を作るのは一にも二にも練習だと。渡辺氏の笑顔にはこんなエピソードが秘められていました。

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上) 身長174cmの渡辺氏の射撃フォーム。2.5代目の眼から見た渡辺氏は「非常に無造作に射撃をしているように見え、どこにその強さたる精神力が潜んでいるのか、自分の行動と心理のリズムを実にうまくとらえている。特に下半身が非常に安定しており、射撃姿勢がくずれない。更に彼が身上とするトラップの基本、肩付け・ほお付け・グリップは素晴らしく、上半身は背柱が柔軟で鍛えられていて、身体全体に軟らかさを感じる。脚の筋肉はバランスの崩れを助け、後矢を慎重に狙うための大きな利点である。そして、彼はどうすれば動揺の少ないリズムに乗った射撃姿勢を得ることができるか研究をし、膝を曲げた滑らかなスイングで的確な射撃フォームが形成されている」
そして、渡辺氏が愛用していたのがミロク5000T。一躍、このモデルが注目されることになりました。日本製の銃で日本人が表彰台に上がり、国内も歓喜に湧きました。
下) 銀メダル決定の瞬間の握手。悲願のメダルに感極まり男泣き。こんな感動シーンを見届けられるなんて強運ですよね。2.5代目自身も東京オリンピックの予選会には出場したものの夢は果たせず、何十年もこの瞬間を待ち続けていた一人です。

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左) 1964年(昭和39年)東京オリンピック金メダリストのマタレリー氏。バルセロナ大会ではイタリアチームの監督として2.5代目と再会。ローマオリンピック金メダリスト、ロッシーニ氏と共に昭和30年代後半に京都を訪問してくれた時から交友がありました。
右) 帰国後の祝賀会で厚かましくも銀メダルを拝借して撮影。この数年後、渡辺氏の訃報に愕然としました。まだ、50才にも届かないあまりにも若すぎる年齢でした。ご存命であれば70才前ですか。未来のメダリストを育成するかけがえのない指導者になられたであろうに、惜しまれます。バルセロナ大会から24年、渡辺氏の銀メダルは今も輝いたままで語り継がれています。「そろそろ、私の銀メダルもくすんで来たし、綺麗なメダル取ってこいよ」とあの世から後進にエールを送っているかもしれません。
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